ノリノリ狂言生活

◎  伝統芸能キッズ・フェス2018~こども劇場せたがや~  


2018年1月28日。
まだ雪が残る世田谷区。ひんやりとした空気でしたが快晴。成城学園前駅から徒歩5分ほどの会場「成城ホール」でそれは開催されました。
狂言と南京たますだれ、お茶席にホップアップカード、そしてお正月遊びで賑わいました。お呼びいただいたのは今回で2回目。前回同様たくさんの子ども達が集まってくれました。
南京たますだれの「うめちゃん」の司会によりオープニングが始まり、その後各ジャンルに分かれ、個室でワークショップが行われました。私たち狂言は『盆山』を中心に紙芝居、狂言の上演、そして体験。45分と言う短い時間でしたが30名ほどの子供たちに声を出してもらい、体を動かしてもらい、賑わいました。特に『盆山』での鯛のジャンプでは、写真の如く活きの良い鯛がピチピチと(笑)
午前午後と楽しく過ごしました。
今回は「伝統芸能」「伝統文化」というくくりで集まったジャンルなので、積極的に参加してくれましたし、子供達も全ジャンルを楽しむことができたようです。
もっともっと子供達に「和」が広がればいいなー。と感じる毎日です。
ご参加くださった皆様、お世話になりましたスタッフの皆様、ありがとうございました⭐︎
また会いましょう~♪

◎  いつかの『巴』 


先日、国立能楽堂主催の「若手能」で能『巴』にアイ狂言として出演しました。
シテは、いつも仲良くさせていただいている観世流の佐久間二郎師。フェイスブックを拝見すると、18年前に初めてシテをされた思い出深い演目だそうです。
実は僕もこの『巴』には思い出があり、初めてアイ狂言の居語りをさせてもらった演目です。2000年の金春流「円満井会」の事でした。18歳。そう。会は違えど同じ18年前に同じ演目で初役だったんだなーと、しみじみしちゃいます。
それ以前に、アイ狂言は立喋り(と言っても鶴亀くらい)や『鞍馬天狗』の下っ端の天狗役くらいでしたが、居語りともなると格も上がり、緊張感というよりも圧倒的孤独感に潰されそうだったのを記憶しています。
稽古では、とにかく何が起きても間違えないように、セリフをテレビを見ながら言ってみたり、布団を被って枕に口を当てて大声で言ってみたり、早口で言ってみたり、遅口で言ってみたり、ありとあらゆる状況で稽古していました。
あれから、何度も機会を頂いて演じている『巴』のアイ狂言ですが、思い入れがあるとともに、語りの構成も実に喋りやすく、好きな演目のひとつです。
アイ狂言の役目は色々ありますが、個人的には無くてはならない存在だと思います。シテは異世界の人。アイ狂言は現実の人。お客さんを幽玄の世界から現実の世界に戻す役割でもあります。また後半へ曲調を繋げる役だったり。
何よりも物語の立ち位置としては、「地元の人」が語り部的存在として登場し物語を語るわけですから、それは脇方演ずる旅僧も納得しますね。実際、日本各地の伝説で、地元の人が詳しく語ってくれると信憑性が増しますもんね。
そんな立ち位置でアイ狂言は存在するのだと思います。
勇ましく闘う巴御前と、最愛の夫である義仲に別れを告げる哀しい姿の巴御前。両方を描くことができたら上出来ですね♪
久しぶりに演じると、慣れたもんだから口が早くなって息継ぎが出来ない時があって、そういう時は地上にもかかわらず、溺れてしまいます。今回はペースを守りながら強弱つけられた納得のいく語りだったと思います。
アイ語り楽しいです😁

◎  『鍋八撥』ふりかえり~その2~ 

今回の「国立狂言の会」は、初番が大藏家、次いで万作家、留めに茂山家。これはまさに立合いですね。年を重ねるたびに、こういった会にプレッシャーを感じます。良い刺激です。さらに、お客さんも違います。異流合同?でしたね(笑)いつもと違う雰囲気をひしひしと感じておりました。
『鍋八撥』を演じて感じたことをつらつらと書きます。
・役の対比
父演じる浅鍋売りと、僕が演じる鞨鼓売り。この対称がしっかりとしていないと見ていて面白くないと思っていました。年齢もありますので、こちらはキビキビハキハキと。父が柔らかく、僕は硬く。といった具合でしょうか。それは後々の「鞨鼓」の相打ちの場面に活きてくると思います。
・脇狂言の癖
この演目は脇狂言。脇狂言の特徴は構成が丁寧。同じセリフを何度も繰り返します。昔は良かったのかもしれませんが、現代では丁寧すぎるのでは?という疑問。聞いている方も「
」という声が聞こえてきそうでした。どうにかならないものかなーと。
・目代の役目
仲裁に入る目代。現代で言えば警察官。目代が仲裁に入るような似た演目はたくさんありますが、ここまで優柔不断な目代はこの曲くらいではないでしょうか?しかも最後は「鞨鼓を相打ちにしなさい」と言って、そのまま退場。釈然とはしませんが、これは本番中に舞台上で思ったのですが、この優柔不断さが面白い!忠一郎伯父ならではの味だったと思います。僕がイメージした目代とは違っていて、途中でその面白さに気付き、こちらも「イヤ申し」「問うてくだされい」「言うてくだされい」など、ちょっと強気というか嫌気というか(^_^;)そんな気持ちが湧いてきました。
・大藏家の特徴
色んな家が存在する狂言界ですが、大藏家の特徴はなんだ?と聞かれたら、数年前までは答えられずにいました。というか、あまり意識してなかったし、共演競演の機会も少なかったわけですから。5年ほど前から、両流各家が一同に会して催す「立合狂言」という会が始まり、そこで観て下さった方々にお話を聞くと、大藏家は「型がきれい」との事でした。客観的にみるときっとそうなんでしょうね。なので、「型」を綺麗に演じようと心掛けていました。棒を振る場面、鞨鼓を打つ場面。舞を舞う時の体の使い方に意識していました。また、個人的に大藏家は簡素で質素だとも思います。派手な動きはないけれど、削ぎ落とされた少しの動きの中に、ゆとりを感じてもらえるのではないでしょうか。言うなれば「奈良」です。豪華絢爛ではないけれど、天平時代の都であった優美平明な素の美しさではないかと思います。そんな事を意識して。
・飛ぶ、回る
これは前回の記事にも書きましたが、側転は「攻め」ていきました(笑)また、鞨鼓を打つ場面では両足飛びする型があります。これは狂言では一般的な飛び方ですが、幼少期にいつも祖父や伯父や父に「高く飛べ」と言われてきました。飛んだら足を引きつけることが肝要です。飛ぶのは僕の得物です!これは誰にも負けません!!負けたくない!!!!高く軽く鮮やかに!!
・演目の解釈
どんな話?何を伝えたい?というのを、最近考えるようにしています。この曲はいったい何を伝えたかったのでしょうか?これは僕の勝手な解釈なのですが、もしかしたら差別がテーマだったのではと思います。
セリフにもあるように、「鞨鼓は子供から大人、貴族までが楽しむ事のできる遊び道具」であり、一方で「浅鍋は庶民的」なもの。鞨鼓売りは、「浅鍋などは市場の端っこで売れば良い」というような事を言います。商品を通してそれを扱う人への差別のように感じたのは僕だけではないと思います。本当は両方とも生活に必要であり、どちらも年齢性別身分問わずに親しまれていたものでしょう。例えば一流の…、例えば超有名な…、例えば誰もが羨むような…といった具合に、現代にも通じるものがあり、そんな境遇でも悩み試行錯誤し笑いながら生きる当時の人々の逞しさが描かれているのではないかと思います。(しかも目代も優柔不断(ToT))
基本的に、狂言に登場する人物の中で大事なのはアドだと思います。よくよく考えるとアドの方が問題を抱えていたり、意地悪な人だったり。シテの気持ちよりも、アドの立場になって考えた方が、色々見えてくる。僕はそんな風に考えています。
また機会を見つけて演じたいですね!
おわり

◎  タケノコ会のお知らせ 


お陰様で【子どもの部】は満員御礼です‼️ありがとうございます😊
【大人の部】はまだ余裕があります。能も狂言も知らない方にも分かりやすくレクチャーしますので、少しでもご興味お持ちの方におススメの企画です‼️また、シテ方3流による謡比べ舞比べ、お囃子の体験、狂言上演と盛りだくさんですので、能楽ファンにも必見です❤️
お時間ございましたら是非ご来場下さいませ✨
●イベントの詳細はコチラhttps://www.facebook.com/events/492100537857863/?ti=icl

◎  2018年1月31日国立狂言の会 公演レポ~回る回る車返し~  


2018年1月31日。「狂言の会」@国立能楽堂
『鍋八撥』
シテ(浅鍋売)大藏吉次郎
アド(目代)善竹忠一郎
アド(羯鼓売)大藏教義
んー。もうかれこれ14年振りくらいの上演でした。当時は22歳!久し振りの車返し(=側転)で、ちょっと心配だったけどガッツリ回ってきました(笑)
どういう事かと言うと、この演目の最後に、舞台の隅から幕まで側転で回りながら幕に入るわけです。側転はそんなに難しくないし、連続でするのも問題ないのだけれど、舞台から橋掛かりへ入る角度が難しいです。また橋掛りの奥行も心配するところでしたが、国立能楽堂の橋掛りは奥行きあるので問題なかったです。まぁ橋掛りが長いので、回っている最中に目が回ってくるのも難点です🤪
20代ならば軽くできてたけど、36になったら難しいかな~と心配してたけど、まだまだいけます!萬斎さんだって越後聟とかやってるし!!と熱を入れて練習してました😀
幸いにも、文化庁派遣事業で学校へ訪問する機会があったので、ワークショップ会場の体育館で練習。このお陰で感覚もつかめたので良かったですw
何を調べるにしてもネットの時代。殊更ハウツーが気になったらYouTube‼️ということで、早速YouTubeで「側転 連続」「側転 足がピンと伸びる」などと検索すると、たくさん出てきました😆コレコレ!!体操のお兄さんお姉さんの動画を見ると、詳しく解説しながら教えてくれます。なるほど。足をピンとするには、右足が大事なのね。皆さん流石柔軟で、足がピンとしながらよく足が開く✨
と、ここで疑問を抱きました。
舞台の隅から幕まで側転という、一応アクロバットな演出ではありますが、なぜバク転などではないのか?という疑問。「そこそこレベル」のアクロバットな側転…。なぜ?
たぶん、無理なく、激しくなく、芸能らしく、綺麗にといった具合で選ばれた演出ならば、これは舞台芸術として、芸能としてあるべき側転の姿をよくよく考えてみなくてはなりません。そこにスポーツ感も体操感も出てはいけないと思うのです。側転への導入の体の使い方、足の上げ方、開き方、着地から次の側転への繋げ方など。珍しく動画で撮影しながら研究しました。
その結果があれです(笑)どういう結果かは、僕もビデオを見てないのでなんとも言えませんが(笑)
舞台で3回。橋掛りで5、6回だったかな。舞台での3回は良かったと思いますが、橋掛り入ってからの1回目は難しかったです。角度があるから。何度も練習したところだったので悔やまれますが、ちょいと態勢を崩してしまった😩それから立て直し、なんとか幕まで回っていけました。
稽古の時に、14年前の自分の側転をビデオで見ながら、「随分ゆっくりだな~」と思っていて、もう少し機敏に回ろうと決めていました。きっとあの頃は失敗を恐れていたのだろうし、無難なところで演技していたと思うけど、あの頃とはキャリアが違う‼️いま自分ができることはなんだ❗️と考え、攻めた側転にチャレンジしたつもりです。舞台3回はゆっくり。橋掛りからはだんだん早く。失敗して転んでも良いからだんだん早く‼️というところで計算してやりましたが、どうだったかな~。
早くビデオが見てみたい‼️
36歳。まだまだ行けます💪✨
つづく

◎  ありがとう2017。ばいばい2017。  

みなさま、今年も有難うございました!
今年1年は、なんだか3年分過ごした気分です。
かな~り濃く、かな~り充実した1年でした。
沢山の出会いがあり、チャレンジあり、成果あり。
言うことないですね(笑)
来年はどうしましょう?
新しい事にも挑戦する時期だと思っていますので
皆さまご期待ください!!
皆さまにとって、2018年が幸せでありますように!
2017.12.31 大藏教義

◎  図画工作と狂言 


先日は、東京都図画工作研究会で狂言「盆山」を上演させて頂きました。
都内の図工の先生方の研究発表で、小学校を貸し切って、何校もの子供たちの作品が所狭しと校内中に並んでました。
一つ一つの作品に個性があり、輝く夢が詰まっていて、とても魅力的なものばかり!!!子ども達が大人にくれた夢のパークのようで、現実しか見ることができない大人に、子ども達は「世界はこんなに夢が散らばっているんだぞ!!」と訴えているような気がしました(笑)
珍しく?対象は小学生じゃなくて図工の先生たち。昔から狂言が好きという先生が多かったし、美術大学在学中に能や狂言を見て、装束や面の研究をしていたという先生もいらして、さすが美術関係のお仕事というか、興味関心の深さを感じました。
時間がタイトだったので、伝えることができなかったのでここに記しておきます。
狂言は、能舞台という背景がない舞台で上演します。なので観るには想像力が大切です。物語に必要な「いつ・だれが・どこで・何を・どのように・どうする(どうした・どうしようと思う)」という、いわば5W1Hを役者が教えてくれます。それをヒントに、観る人は自分の感受性と想像力で物語を好きなように描き色を付けていきます。これ、まさに図工といっしょ!!
こうした文化芸術に触れることは、想像力を養う上でとても重要です。想像力を養うことは、人間形成の上で最も重要な要素と思っています。
なぜならば、相手の気持ちを想像できるからです。相手にとって、嫌なこと嬉しいことを想像できます。そうして思いやりの気持ちが生まれるはずです。さらに、物作りやビジネスでも想像力は必要なのではないでしょうか。想像力は創造力です。
もう一つ。狂言に登場する役は、人間の弱い心を持った人物です。ずる賢い人物、人を騙そうとする人物、威張ってばかり、偉そうにしてる、嫉妬深い、自分の儲けしか考えていない人物など。彼らは時として、私たちの代弁者だったりもします。人より優れていたい。人より良いものが欲しい。格好良く見られたいなんて事は、きっと人間なら誰しもあるはず。でも現実を生きていく上では表に出さないだけです。
狂言に登場するキャラクターを通して、演者も観客も日頃の鬱憤を晴らし、疑似体験しているものと考えています。
図工も一緒。色を塗りたくったり、ハサミでバサバサ切ったり、糊でベタベタ貼るのは日常では許されないけれど、工作なら全てが自由で自己表現できるのです。
野球やサッカーなどのスポーツも同じ。バットで人を殴っちゃいけないけど、ボールをガツンと打つ!塁を盗む!デッドボール!ランナーを「さす」!サッカーボールを蹴る!体でぶつかり合う!
日常ではやってはいけないことを、文化芸術スポーツの中で行う事で、善悪心のバランスをとり生きているんだと思います。
豊かな社会を築くのは私たち人間です。その一人一人が豊かな人間になるためにも、文化芸術は必要不可欠なものと改めて思いました。
なんとなく書いてたら長くなっちゃった😅
何のためにこの仕事をしてるか?って聞かれたら、そういうことです。「伝統文化の伝承」も大事かもしれませんが、そっちの方が世の中の役に立てて嬉しいです。



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